17歳のポケット

何がいい というんだ
何がいい というんだ
感じているのは自分だ
生きているのは自分だ
自分のために生きろ!

山田かまち
永遠の同級生とも呼べる
群馬県 高崎市出身の 山田かまち
君は 山田かまち という少年を知ってる?

そう聞くと、大半 知らない って答える
山田かまちを知っている人に
あまり出会ったことがない

恋人だった樋口が知ってたくらいだ
もしかしたら わたしが教えたのかもしれない
記憶が薄れているな 悲しい
彼も 山田かまち と同じく高崎市生まれで
今も高崎に住んでいる

山田かまちと出会ったのは
中学校一年生の頃だった
美術の授業、美術の先生が配ったプリント
の中に 山田かまち がいた
たった一枚のプリントで私達は出会った
奇跡と呼ぶより 運命と読んだ方が
しっくりくる
それくらい 山田かまち という少年は
わたしの人生で いい影響与えてくれた
大きい存在なのである

山田かまちは画家でもなんでもなく
詩人でもなんでもない
そこらへんにいる 音楽が好きな少年だった
彼の口癖は『ぼくには24時間じゃ足りないよ』だったという
普通の人からしたら 少し変わった少年

1977年の夏、当時 山田かまちは17歳。
夏休み、部屋の中でエレキギターの練習を
していたら感電してこの世を去った。

17歳。
大好きな音楽に殺されてしまった。
不謹慎だが、そんな綺麗な死に方できるなら
突然でいいから 予測外でいいから
そんな風に人生に終止符を打ちたい

彼が死んでから、部屋にあったこれまでの
詩や自画像、見知らぬ人との文通が発掘され
それが評価されて 多くの人に勇気と感動を
与え 今でも高崎市に山田かまちの記念館があるほど 有名な人になった
たったひとりの少年の孤独が 足掻きが
死んだ後に愛されるなんて
それも
不思議な話

仕事中、地震が起きた 大きめの揺れ
ひとつの空間に 自分とは繋がりのない
たくさんの命があって その命たちは
自分の命より 大切であることを感じた
幸いにも、被害はないが
数々の命の不安を感じたときは
少しばかり 妙な気持ちになった

話が逸れました
そう、永遠の同級生こと山田かまち
山田かまちと出会ったころは
わたしの方が年下だった
数年経って同い年になって
気が付いたら、山田かまちより歳を取ってる
亡くなった愛理よりも歳を取ってる
時間が進み過ぎている

『幸せな幸せな人は
あまり幸せでない人を
幸せな幸せな人にする』
山田かまちの言葉

こんな事を言える人だ
信頼する

また特にオチもない話
山田かまちを思い出したってだけの話

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